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18/03/01

校長古田茂樹の「車窓余禄」【第23回】「普遍性VS個性」

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車窓余禄タイトル

隣県の香川に同じ車好きの友がいる。先日、その昔名高い自動車の選手権に出たクラシックカー(優勝はしていないが)を買った。ステッカーなども含めて出場当時の姿にしてある。

すごいオーラが出ている。万人には分からないが、分る者には分かる魅力と凄みがある。買った本人はいたく気に入っている。彼は、選手権にも車両にもドライバーにも思い入れが強い。まさに個人的価値の極みである。

レースでもだいぶ酷使しているので、これからいろいろ直してやらねば、と悩ましそうでもあり嬉しそうな顔である。そばに美しい奥様がいた――そんな旧い傷んだ車に大金出すのなら最新の高級車を買えばいいのにと、ため息交じりに呟いた。一理も二里もある話である。奥様はクルマを普遍的価値で考えている。安全、効率、性能、環境、維持の容易さなどである。友である夫は個性的価値観でこのクラシックカーをみている。

昔の車は製造に携わった個人の影響がとても強い。製造会社の組織や国の法令が未熟である分、個人の考えが車に反映されやすい環境にあった。強烈なキャラクターが車に宿っている。欠点も激しいが、惹きつける魅力も半端ではない。これに選手権出場実績などの付加価値がつくと鬼に金棒である。

いわずもがな、クラシックカーは普遍的価値では、現在市販中のクルマにあらゆる点で負けている。安全、効率、高性能、環境、維持の容易さに重きを置くのなら今のクルマを相手にすべきである。最新の技術で、手ごわいライバルと闘いながら、厳しい各国法令まで満たしながら製造された車は普遍的価値おいては抜かりがない。
では、現代の抜かりない車が人々を熱くさせているかと言えばそうでもない。やはり、ひとは個性に惹かれる。申し分のない家柄、学歴、職業、良好な人間関係をもつ(普遍的価値パーフェクトな)人物が大人気とは限らない。その人ならではの味のある個性が人気の素となっていることが多い。普遍と個性は偉大なテーマであり続ける。

2014年3月号 2014年2月21日 発行

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