18/11/01

校長古田茂樹の「車窓余禄」【第30回】「理想の道路は英連合王国」

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徳島の道でも時折、見事なクラシックカーを見かける。流麗なボディライン、吸い込まれるような真紅の旧いフェラーリなどは見るものを惹きつけてやまない。日本では本格的乗用車生産は戦後からであり、戦前の輸入車となると地方都市にはほとんどない。なので、米国式分類に従えば、1945年~1971年の間に製造されたヒストリックカーと呼ばれるものがほとんどだ。ここからは、彼らをヒストリックカーと呼ぼう。

では、旧いクルマのどこがいいのか説明してみよう。まず、車の価値として普遍的価値と個性的価値がある。環境、安全、効率(燃費)、信頼性(壊れない)、性能が良いなどはどんな車にも当てはまる長所なので普遍的価値である。味わいがある、ラインが美しい、懐かしさを掻き立てられる、好きなデザイナーの作だ、昔見た映画に出ていた等々は個性的(個人的と言ってもよい)価値である。

旧いクルマは文化財的価値がある。文化は人の心を豊かにする。作った人の心意気が伝わってくる、作られた時代の雰囲気を醸しだして、人の心をつかむ。スタイルも木型を削ったり、撫でたりしながら造形を固めて行ったのであろう。複数の関係者の話し合いからというより、才能があると認めた天才に好きにやらせた結果であろう。作者の魂が宿っている。

ヒストリックカーとして残っている車は少量生産車が多い。量産車の方が確率的に多く残るはずじゃないのですか、と時々聞かれる。少量生産車は同時代でも高価なのでよいデザイン、よい機械設計、よい材料、よい組み付けに恵まれている。美しいものは長生きである。量産品は短命である。世の逆を突いて、量産車を大事にメンテし入念に磨いて、美しく歳を重ねさせている友人がいる。もうその車は20歳になる。友はあと30年待てという。

クルマの楽しみ方は無限である。だから、その無限の楽しみ方から自分らしい楽しみ方を見つけたい。人生そのものの楽しみ方に似ている。あなたは、本当に自分らしい人生を愉しんでいますか? 今一度、自分に問いかけてみたい。

2014年11月号 2014年10月21日 発行

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