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25/04/10

校長古田茂樹の「車窓余禄」【第31回】「幼少の私は空気中に水がいっぱいあることに気づいた……」

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 幼少の頃、夏場に他の家を訪ねると子供にはオレンジジュースが振る舞われた。昭和30年代のしかも田舎はまだ戦後の復興の恩恵に与かっていなかった。現在の基準ではとんでもない代物(人工甘味料と人工着色料とクエン酸を水に溶かしたもの)であったが、子供にはごちそうドリンクであった。
 時折、祖母や親に連れられて徳島市の親戚に来ると子供にも戦後からの復興が進み文化・文明の到来がひしひしと感じられた。ある夏の日に佐古にある親戚へ行くと(電気式ではない)冷蔵庫からよく冷えたオレンジジュース瓶が出され、私(ぼく)の目の前のコップになみなみと注ぎ込まれた。そして、さほどの時間も経たないうちにコップの外周全体に大切なオレンジジュースが染み出てきた(と、思った)。
 当時、親戚筋では知識人とされていた大叔父が子供をからかい始めた。「早く舐めとかないとコップからジュースが染み出てなくなるぞ…」と声をかけてきた。すでに、その人の性格というか癖は幼少の自分にも分かっていたので、直感的に嘘だと察知した。そこで、母がポケットに入れてくれたチリ紙(現代のティッシュ)を取り出してコップ外周の液体を拭ってみた。「ジュースでない、水だ」と声を上げた。
 そして、大人たちに見えるように濡れたチリ紙を展開してみせた。オレンジの色は一切ついていない。「染み出てない」と断じた。「それに、コップ内の液面高さも変わっていない。」ともう一つの証拠も示した。すると大叔父が、ほなな、外周の水はどこから来たのかなあ、と試すように問いかけてきた。「空気中から来たとしか考えれん」と即答した。
 この経験から、空気中には水が見えなきけど隠れていると実感した。その後、空の雲は微細な水滴の集まりだと知った。余りにも微細で軽いため空中に浮遊できているのだ。大粒で重くなると浮遊できなくなり、地球重力に負けて急速に落下していく。それが雨だ。これに気付いたときは自然を理解した喜びと、じっくり思考することの威力を思い知ったことで幼少の体が震えたのを覚えている。
 ここからは現在の自分が語る。最近、自分の孫も含めて物事をじっくり観察したり系統的に考えたりする子供が増えてきたように感じる。そして、既成の常識や価値観を無条件で受け入れることなく自分なりに取捨選択して育つ子供が増えてきた。この延長線上に端的に現れたのが将棋の藤井聡太や野球の大谷翔平の姿かなと感じる。
 次回のエッセイでは空気中の水分がこの猛暑の中で私たちを不快にしたり熱中症にしたりする様子を書いてみたい。そして、空気中の水分の存在を知ることから、猛暑を快適に乗り切る術や賢いエアコン利用の秘訣に触れてみたい。 (終)

2024年8月1日 発行

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