
前号では30年前の話を扱った。今回は35年前の話をしたい。旧い話だが、現代にも十分通じると信じるからである。
その当時、政治の世界で活躍している親戚がいた。彼は祖父の弟であった。私に社会勉強をさせようと思ったのか、政治家たちの食事付きの会合に連れていかれた。国会議員や県議会議員が来ていた。一般人とはずいぶん毛色の違う人たちを想像していたが会って話してみると、意外にも普通に話のできる人々であった。違いと言えば、徳島県の未来や日本国の未来について真剣に心配したり熱く夢見たりしていたことであった。自分や自党が有利に立つため、騙しだまされライバルとの駆け引きや死闘に明け暮れる人種と思っていたが、案外普通の感覚の人たちであった。
そのうち、県議会議員のひとりが中央政府の省庁に陳情(徳島県への予算配分のお願い)に出向く話を始めた。そちらの偉い人と懇意であることも大事だが、徳島県出身の若手の官僚と親しむことの大切さについてエピソードを交えて語っていた。高校を出てからは東京の大学に進み省庁に入り東京の女性と結婚して、そちらに居を構えていても故郷の徳島を愛し心配してくれる熱い人情家の若手官僚とは一人でも多く親しくなりたいという。なぜなら、そういう知り合いが多いほど陳情の空振りが減り、ヒット(成功)が増えるとしみじみと語っていた。
彼が語ったエピソードをここで紹介したい(旧い話ではあるが迷惑をかけないように省庁の名前などは伏せる)。県議の先生は国会議事堂の隣にある議員会館で若手官僚と向き合っていた。「先生、あの件はいけたと思います」と県出身の若手官僚は開口一番に切り出した。県議は緊張した表情から一気に安堵と喜びの笑みに変わった。
「私は大したことはしていませんが、担当の課長に助けられました」と人懐っこい顔で説明を始めた。(現在は少し変わったかもしれないが、省庁の仕事の決定は中間管理職の課長がやっていた)「あの港湾整備は関西圏が中心ですが、企画書には隣接している徳島県も含めて作りました。課長に提出するときはドキドキしました」と真顔で言った。
先日、課長がデスクから顔を上げて部下たちの方を見回している。ある程度以上仕事のできる者は、それがどの案件でどの部下を呼びたいのか瞬時に分かる。分からないと駄目だ。県出身の若手は自分だとすぐに察知した。自席からバネのごとく立ち上がり、ハイハイ私で宜しいでしょうかと課長席に歩み寄った。彼の手には自分が出した企画書が乗っている。課長はしばらく部下を見つめると、「ところで○○君、国はどこかね」と切り出した。若手は、一呼吸置くと、「国でございますか?」としばらく間を置き、「私は生まれも、育ちも、生粋の日本人でございます」と真顔で答えた。即座に課長は手の企画書で机を叩き「ばか野郎、出身はどこだと聞いているのだ」と迫った。
「やっとの思いで東京大学に受かり、その後本省にも受かり昼夜を忘れて無我夢中で働いてきました。それに最近、東京ではありませんが北関東出身の娘とも出会い結婚したいと思っております。ずっと東京に住みたいです。東京が大好きです。私の故郷は東京です」汗かきかき返答した。「うるせーよ、もういいよ」と言いながら企画書に承認のハンコを押すと、フンと言いながら書類を差し出した。部下は「恐れ入ります。有難く頂戴します」と賞状を受け取るしぐさをして頂戴した。2メートルほど下がると、深々とお辞儀をして最後のセリフを言った。「課長、ありがとうございます、課長、ありがとうございます。また、仕事がんばります。失礼します」
先ほどの会合場面に戻る。エピソードを紹介した県議は、「だろう、わかるだろう、こんな徳島想いの若者を中央政府のあちこちに置いとかなあかんのよ。多いのと少ないのでは、徳島の未来が大分異なるん違うでよ…」と深いため息をついた。
ここで、TEC予備校の仕事が分かった。 (終)
2024年9月12日 発行