
読者のみなさん、歴史は好きですか。日本の8月は歴史的に重大案件が目白押しである。1945年8月6日は広島への一発目の原爆投下、続いて9日には長崎への二発目の原爆投下があった。3発目、3都市目も米国の予定には入っていたようだが、覚悟を決めた日本政府は天皇も参加する御前会議を開き、連合国側の提案する「ポツダム宣言」を受け入れ無条件降伏の道を選んだ。8月15日のことである。なので、8月は歴史的に忙しい。
以上の歴史的事案に加えて1985年8月12日に新たな重大事案が加わった。JAL123便ジャンボ旅客機の群馬県上野村御巣鷹山尾根への墜落事件である。生存者はかろうじて乗客4名、他の乗客・乗員520名が返らぬ人となった。単独機としては世界最大の、凄惨極まりない航空機事故となった。大型旅客機墜落事故自体も痛ましい限りであるが、事故後当該機の運用会社や事故調査委員会(日本政府)の事故原因発表が多くの国民の疑義や批判を生んでいる。フライトレコーダーやボイスレコーダー内容の全面開示を頑なに拒んでいるのが主な原因である。さらには、破損して相模湾へ沈んだ垂直尾翼部分68%の引き上げも行わない当事者への疑いも増すばかりである。そうして、真相が解明されないまま、事件から40年が経過してしまった。
当初より、この事件(事故)には関心を抱いていた筆者は関係する報道、SNS投稿、調査と推測の書籍等を熱心に追いかけてきた。原因は3種類言われている。一つ目は当該機の遡ること5年前の大阪伊丹空港での着陸時のしりもち事故に原因があるとしている。事故そのものと言うより、その後のボーイング社による圧力隔壁の修理ミスと言うのが公式見解である。JALと日本政府の主張である。二番目は、自衛隊機によるミサイルまたは標的機による誤射を発端とするものである。(米軍機のものとの説もある。)三番目はいわゆる「陰謀論」である。陰謀の種はいくつかあるが、よく語られるのは米国マイクロソフトの基本ソフト「ウインドウズ」に対抗できる、いや凌駕すると噂のあった日本製OS「トロン」を潰すことである。123便にはトロン開発技術者17人(おそらく、主要メンバーの大半)が搭乗していた。搭乗していたのは事実である。
そうこうするうちに、今月8月12日に、発表されたボイスレコーダー内容から空白(無音=意図的削除)になっている部分がテキスト形式で発表された。発表元はこれまで事件を熱心に追いかけていた元JALのCAであるR氏のYOUTUBE動画である。表現は当該機が離陸して墜落すまでの航跡と時間を地図上で合体して、その上に調査委員会発表のボイスレコーダー内容を音声と文字で表し、空白部分に入手したとされるボイス(交信及びキャビン内部の会話)を赤文字で挿入したものである。赤文字のボイス部分が本物かどうかについては不明である。が、すでに公開されている航跡や時間ともまた公開されたボイスとも辻褄はよく合っている。飛行機は定刻に12分遅れで18時12分に羽田を離陸した。早くも、その12分後には、伊豆半島を横切る手前の相模湾上空で「なにか爆発したぞ」との機長のボイス(発表済)が聞こえる。18時24分である。3分後、18時17分にはまた機長の声で「二機の戦闘機が追い抜いて行ったぞ」(入手テキスト赤文字)がボイス表示に見える。発表ビデオでは18時32分静岡市上空を通過している。別の地上波ニュースによると、静岡市民が左右に大きく振れながら北上するジャンボ旅客機を何人もが目撃している。
話しが逸れるようだが、この事件より前に羽田でジャンボ機を整備する同世代の男性と知り合いになった。得られた知識としては、ジャンボ機は垂直尾翼と機体尾部の境目にAPU(補助動力装置)を積んでいる。機内圧力調整、エアコン、照明の他に操縦に必要な油圧を作っていると教えられた。つまり、主翼下の4発のエンジンは推力用で、その他のことはこのAPUが担っているのである。ボイスレコーダーを聞いていると緊張するだけでなく、油圧の効かない操縦装置に3人の乗員が悪戦苦闘する様子が手に取るようにわかる。聞くだけでも苦しくなるキャビン状況である。
九死に一生を得るべく機長は最寄りの米軍横田基地着陸を打診する。幸い、横田管制は極めて協力的である。18時45分、横田基地の滑走路が視界に入った。周辺地域に避難指示も出したという。準備万端の横田である。「とても有難い」と高濱機長は謝辞を述べた。18時46分、突然「後方のファントムXだ。現在貴機を追尾中」と無線が入った。「(このまま横田では、)二次被害が出ます。山に向かってください。命令だ。」機長が弱々しく、このままでお願いしますと返信した。しかし、止む無く、左旋回して山へ向かう。18時47分、機長が呟く「あいつら我々を山に落とす気やぞ!しようがない!」
そして、最後の時が来る。18時56分、「(ミサイルを)被弾したぞ。本当に撃ちやがった」。機長の最後の言葉「もうだめだ」。御巣鷹山墜落。その後、8時間高濱機長のJAL123便は行方不明とされた。 (終)
2025年8月28日 発行