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23/07/20

校長古田茂樹の「車窓余禄」【第27回】「車の旅で俳句を詠む楽しみを見つけた」

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 休みの日は朝4時起きである。夏至の前後は少し明るくなりかけているが、他の時期は真っ暗である。紅茶を2杯飲んで、半時間余りのウオーキングに出かける。頭と体、それと心を覚醒させるためである。若いときは起きるとすぐ好きな車に飛び乗ったものだが、年齢を重ねると安全重視で目覚めの余裕を設けている。
 こうやって覚醒に1時間ほど費やしたのちガレージに向かう。ドアを開錠すると「おはよう、今日も宜しくね」と愛車に挨拶をする。その日のコースはほとんど前夜に決めているが、時折その日の気分で、別のコースに変わる時もある。少しずつペースを上げて20分も走ると、その日の自分と車の調子が分かる。視覚、聴覚、体感が好調で、頭の判断がよい時はよい走りができる。イメージと実際の走りがピタッと合う。いい気分の走りになる。他のスポーツと同じである。反対に駄目だと思うのは、心身が疲れている時である。それよりダメというより危険なのは、体は割と元気で心に迷いを抱えている時である。すぐさまUターンしてガレージに帰る。体調、精神状態は運転に正直に出る。
 ここからは話を別のことに転じる。俳句である。その日のコースの折り返し場所は決めてある。何か好きな動植物や事物と出会える場所である。因みに俳句で理由を示したい―「せせらぎに・じっと目を閉じ・耳開く」、「うぐいすや・空気清める・美さえずり」、それから道中での一句「沿道や・笑顔で手振る・童たち」などである。もう一つ、「紫陽花や・百輪揃って・我見つめ」。これは、美しく、盛大に咲く紫陽花を見ているうちに、自分が彼らに見つめられていることにハッと気づいた瞬間を詠んだ一句だ。相手の多数の迫力に圧倒されて、逃げるように走り去った時の一コマである。
 クルマで行った先や道中でハッと気づいたこと、感動したこと、しみじみと感じたこと一句に記録して友人たちにLINE送信している。例えば、大きな立派な和庭園を持つ友人を春前に訪れた時の一句―「大空や・梅が香し(かぐわし)・友の庭」。これはTEC予備校を定年退職したK先生に添削してもらった懐かしい一品である。
 次のような機会で作句するのはあまり好きでないが、断れない場合を紹介したい。私は良い思い出の記録(写メ)として作っている。結社(俳句の会)にも所属していないし、作り方の研修とかも受けたことがない。季語なども頭に入っていない。いわゆる、勝手流俳句である。初対面の車好きが集まった時、ある人物が私を指して「この人は俳句の…」だと唐突に言い出した。そう言う紹介のされ方はあまり好きでないというより大嫌いな方である。
 いやだと断るのも大人げないので、渋々一句ひねり出すことにした。そこはさぬき市の山際の小高い土地に建つ和風の屋敷であった。おもむろに屋敷の裏に回ると、一面大きな竹林があった。無理して作るのはなかなか難しい。機械的に五七五を感動もなく並べ替えている自分が嫌になった。虚しいの一言。その時、突然春風が起きた。風をネタにして五七五を並べようともがいている自分が空しくなった瞬間、「そうだ竹林と友達になりたい」と閃いた。一句瞬作できた―「風が吹く・我と語れや・竹林」。フッと体の力が抜けた。こんな作り方もあるのかと気づいた。家の前に戻り、何食わぬ顔で皆にその一句を披露し大人の体裁を保った。ヨイショ半分だが皆、さすがだと褒めてくれた。作句のきっかけは気に入らないが、結果としての作品は自分なりに気に入っている。時折その家を訪れる度、裏に回って竹林としばし語り合っている。
 最後に、気楽だがダイナミックな一句を紹介したい。休みの日の早朝はよく牟岐や宍喰まで車を走らせる。日の出、朝日と出会うのが嬉しい。南の早朝の道は空いている。思い通りに走れて誠に爽快の一言に尽きる―「朝日浴び・大気切り裂き・馬駆ける」。自画自賛であるが、とても気に入っている一句だ。 (終)

  2023年7月20日 発行  TEC TIMES 2023年8月号より

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