
今年1月上旬、朝早く上八万の友人宅を訪れるため徒歩でまだ暗い歩道を歩いていた。文化の森トンネルを出て交差点にあるコンビニに車を停めさせてもらった。友人宅は家人の車3台で駐車の余裕はない。車好きの私も、最後の1マイルは徒歩だ。
約束の時間が迫っていたので、急いで佐那河内方面に向かう国道438号線の坂道歩道へと向かった。すると、足早にこちらに歩いてくる人影に気付いた。フード付きの黄色いパーカーを纏った40歳前後と思しき男性である。歩き方にどこか緊張感が漂っている。なんと、私の方へ歩み寄って来るではないか。こちらも少し警戒し始めた。近くへ寄ってきて、緊張した面持ちで、「気を付けてくださいよ…。その先の信号付近に猿がいますよ。たった今、私も足首にガッと飛びつかれましたよ」と強張った表情で警告した。ありがとうございます、気を付けていきます、と礼を述べて先へ歩を進めた。
車載の懐中電灯で周囲を照らしながら進むと、警告通り信号機の傍に一匹の猿がいた。おぉ…猿、本当に居たのか、と驚いた。身の丈50センチほどのまだ若い猿である。凶暴な様子は全くなかった。幸い、こちらに向かってくる気配もない。ちらっと南手の坂道を見やると先ほどの警告してくれた男性が100メートルほど先を歩くのが見えた。猿もそちら方向を見ていた。私は少し後退りしたその時、あたかも反射的に猿はその男性を追うかのように坂道を駆け上がっていった。
猿はまた男性を襲うつもりだろうかと少し心配になった。女性や子供なら撃退の助けに行かねばと考えたが、立派な男性なので猿一匹くらい何とかなるだろうと判断した。同じ坂道を私は注意しながらゆっくり上っていった。懐中電灯で周囲を照らしながら歩いた。前方からは幸い猿を撃退する怒号のような声は聞こえてこない。しかし、事によると猿のやつは私を待ち伏せているかも、という不安がよぎった。
坂を上りきった住宅地に友人宅はある。猿には遭遇しなかったことに安堵しながら歩道から住宅地に足を踏み入れ10メートル歩いたその時、音もなく右足首にガッと来るものがあった。自分は意外にも冷静にあいつ(猿)だな、と判断した。防寒に厚手のズボンを履いていたので爪や歯でケガをしたようでもない。猿は2メートルほど後ろに飛びのいてこちらをじっと見ている。敵対的、攻撃的素振りはまったく無い。遊び相手が欲しいかのような表情であった。若いオス猿であった。無視して友人宅へ急いだ。
時はその日を前後して、テレビや新聞で猿出没の記事が頻繁に出るようになった。数日後打ち合わせで来訪した建設関係の取引先にその顛末を話すと、彼は自然界の動物の生態に詳しい人物であった。「それはねぇ…群れに馴染めなかったはぐれ猿ですよ。人間社会にもいますよね」と同情的であった。「誰か遊んでほしいんやな」と締めくくった。
その後、猿報道は続いた。しまいには、関西テレビまで遥々お出ましになった。
その後のことはここでは触れないが、なぜかその猿が不憫でならない。 (終)
2025年2月27日 発行