小学生のころの話である。親戚のひとりの人物で、ある理由で有名人がいた。偉い人ということになっていた。祖母は、私によく言ったものである。「おまはんもしっかり勉強して、親戚の〇〇伯父さんみたいなエラモン(偉い人)になるんでよ」。
ばあさんからあまり頻繁にそのセリフを聞かされるので、あの人はどこがエライん…?、と聞き返した。彼女は眼を丸くして、少しばかり驚いた様子であったが、暫しの沈黙の後、「ほら、世間の人が偉い人じゃと皆が言うとる」と答えた。そこで、わたしが、皆がエライと言うたら、偉い人になるんか、と問い返すと、彼女は一瞬逡巡したが、「子供のくせに素直に人の言うことをきかん。碌な人間にならんぞ!」と怒り出した。
このエピソードは祖母だけに当てはまる話ではない。大半の大人がこんな調子であった。私には、田んぼで炎天下、ずっと草取りを続けている隣の爺さんの方が遥かにエライ人にみえた。余談だが、私は実質・実際でものを観ようとする質である。
長くなったが、私が生まれ育った昭和後半は人生設計など家庭でも、世間でも、学校でも話題となる雰囲気さえなかった。明治時代の願望は「役人になるか金持ちになるか」であったという。「役人=エライ人、金持ち=エラぶれる人」の価値観を戦争に負けた後も引きずっていた。他人の価値観、つまり世間の価値観から脱却できずにいた。
2022年に人生設計をする若者は、まず自分の価値観を自らに問うことから始めなければならない。美味しいものを食べるのが幸せだ、またそれを作って他人に食べてもらいたい、おいしいものが世間・世界に広まれば人間はもっと楽しく生きられる、もっと健康にもなれる。次に問うのは自分の適性・才能である。味覚は繊細な味まで分かる、食材を見たり触れたりするだけで質や味が分かる、調理する手先の器用さも備われば料理人を目指せる。では、この職業は自分が社会に出るころにまだ存在しているか?まとめると、職業選択には「価値観・才能・職業の存在」の3つの条件が必須である。では、手先の器用さに自信が持てなければどうする。食材を生産する農業という手もある。人との交渉などが得意であれば食材を商うビジネスができる。人に教えるのが好きなら料理の先生にもなれる。テクノロジーに興味があれば調理ロボットの開発ができる。
「職業」が決まれば、次は「どこで住み・働くか」だ。生まれ育った自然豊かな地元徳島はどうだろう。農産物も海産物にも恵まれている。いや、もっと人口の多い所でお金持ちを相手にしたければ都会に出て勝負すべきだ。さらに、世界に出たらバラエティ豊かな食材に出会える、面白い調理技術が学べる、多彩な味覚を持つ外国人を相手に自分の腕前を試してみたい。それに英語も得意な方だ、と来れば世界をまたにかけて活躍できる。
最後にまとめよう。日本社会に色濃く残る、世間の価値観への同調圧力から脱却しよう。そして、自分の価値観・才能・職業の存在の3条件を確認しよう。柔軟に才能をいれかえれば価値観を満たす色々な職業が可能であることを知っておこう。そして、活躍するステージ(どこで住み・働くか)を決めよう。英語の力も問われる。 (終)
2022年8月20日 発行 TEC TIMES 9月号より