校長あいさつ
古田茂樹 Furuta shigeki
TEC予備校校長の古田茂樹(ふるた・しげき)です。
私たちは受験を通して、実社会で使える人材の基礎作りをしています。大学・専門学校へ進学して知識や職業の訓練を受ける若者に、その基礎となる学力をつける仕事をしています。
学力とは知識をつけた上に想像力や論理を駆使して、新しい発見をしたり問題を解決したりする能力のことです。
しかも自由無限の時間ではなく、限られた時間内で正確に実行する能力のことです。以下、TEC予備校で学力を付けるための教育サービス内容の、「もととなる考え方」を説明させていただきます。
目的理念
活力ある地球社会を創るため、個人の才能の開花を助けます。
行動理念
- 知性を磨くことを通して、若者の将来設計をするLife Planning Companyです
- 自立した人間、リーダーシップのとれる人間を育てます。
- 有用かつ愛される人材と文化を徳島から世界中に送り出します。
- 仕事を通して、私たちは自己の才能を美しく開花させます。
- 他人、他社にとって、TECと関わることが喜びとなる存在になります。
次に、私たちの考える時代像と作りたい人物像、私たちの求める学問とは何かについて説明します。
その1 21世紀は自由の時代
「自由」を今までになく実践出来る時代の到来です。病気、貧困、戦争、国家主義、風習に苦しんで来た先人からみたら夢のようなユートピアの到来です。そして、TEC予備校の経営理念である「活力ある地球社会を創るため、個人の才能の開花を助けます」を実現するのにこの上なく好ましい社会環境の出現です。そのためには、自己の性格を知り、自分は自由な環境を活かして何をしたいのか、しっかり決めなければなりません。さもなければ、自分の欲望や世の中の変化に振り回されてしまいます。自由はありがたく、かつやっかいなものです。
その2 21世紀はルールの時代
しかし、もう自由の乱用は許されません。腕力で無理強いしてでも、ぶんどった者勝ちの無法行為も許されません。勝てば官軍、とはもういえません。行動責任、事後の説明責任は勝者にもきちんと問われる時代です。一昔まえでは考えられなかったことですが、圧倒的な富や権力をもった個人や会社が法を破ったことで訴追されています。万人、法や規則(ルールブック)を勉強してから行動する時代です。体力、腕力、勢いだけではもう生きていけません。知的で順法意識を持った上での、腕力の持ち主が成功する時代です。
その3 21世紀は自主独立の時代
また、自分の行動基準もしっかり定める必要があります。つまり、倫理観、人生の目的、価値観は、自分で定めないといけません。自分のことも分からず、自分が何をしたいのかさえ曖昧なまま、みんなと同じところへ向かって走っていたら何とかなる時代はもう過去のものです。しかし、人生は有限なので、永遠に自分探しに時間を費やす訳にもいきません。若者・受験生としてやるべき勉強は着実にこなしながら未来図を描くのです。今の課題実行と将来への模索は同時進行です。
また実生活・社会でも、家族や会社同僚の全面的援助など当てに出来ません。同様に、税収の低い地方自治体が、都市部の税収に頼ることも難しくなりました。個人も組織も、目的は自分で定めてかまわないが、その結果責任は自分がとる時代です。結果を必ず出す能力、責任感は若者・受験生の時にしっかり身につけもらう場所としてTECがあります。
その4 福沢諭吉の学問のすすめ
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」とは、明治維新の学者であり、慶応大学の創始者、福沢諭吉の言葉です。著書、「学問のすすめ」の冒頭の書き出し文句としてつと有名です。この書き出し文句だけから、人は永遠に、無条件に平等であるべきだと唱えているのだと、勘違いしている人が少なくありません。そんな人は、次のページをすぐ読むべきです。「人には上下がある。従事する仕事に上下がある」、とはっきりと書いてあります。その差を作るのは、各個人の学問するか否かの努力差が生み出したものだ、と断言しています。しかも、その学問とは日用の実に遠きものより、家庭、商家、国家の運営に役立つものから優先すべきだ、と説いています。
その5 21世紀にあるべき人物像
今この時代にあるべき人物像とは、自主独立の人物、実践に役立つものから学問する人物と考えます。福沢諭吉の先見したことを実現するときがやってきました。TEC予備校は、自分のためになる学問、周りの人を気持ちよくさせる学問、社会全体を活性化する学問を生徒・保護者とともに求めます。つまり、私たちが受験指導の面から、保護者の方々が実社会経験から、21世紀で活躍できる人物像を示すことが出来れば理想的だと考えます。21世にあるべき人物像とは「自主独立の人物、実践に役立つものから学問する人物」と考え受験指導します。
その6 意味明瞭な言葉こそ学問の基盤
私たちは、申すまでもなく教育サービス機関です。このサービスは「言葉」をベースとします。元となる言葉の定義をしっかりとつかみ、そこから想像力や論理を働かせて新しい発見へと至るのが学問なのです。つまり、あくまで言語明瞭・意味明瞭に徹した世界なのです。言うまでもなく、その後の人生において生徒達も、“言語明瞭・意味不明”な話術を身につけていく可能性はありますが、私たちの教室ではその技術を教えることも利用を推奨することもありません。「言語明瞭・意味明瞭」一点張りです。5教科はもちろん、小論文、AO入試、面接などの入試対策に於いても首尾一貫して用いられます。言葉を正確に使うことが学問の要と言えます。一般社会へ出る前に子供達にしっかり身につけてもらいたい技術が「言語明瞭・意味明瞭」なのです。